町会について About Us

町会の歴史 見出し

当町会は大正元年頃に田町6丁目町会と田町7丁目町会がそれぞれ別々の町会として誕生し、その後合併し大正会となり、大正十年四月「田町6・7町会」となりました。昭和三十八年からは「赤坂田町六・七町会」に、そして昭和四十五年四月一日からは現在の「赤坂東一・二丁目町会」とういう名称になりました。

町会神輿には長きに渡り使用し愛着のある「田六七」の紋がついています。高張提灯の正面に「赤坂東一・二」とありその両脇にもその紋がついています。

この地域は江戸時代武家屋敷又は溜池の畔であったようで当町会はなく、明治、初期から約四十年かけて行われた溜池の埋め立てと共に町民が住み始めたようです。戦前戦後には自動車関係の企業が多く「日本のデトロイト」と呼ばれたり、料亭の多い街ではありましたが、現代では大規模な建物やオフィス、飲食店を始めとする店舗、マンション等が増えてきました。いまでは個人会員様はもちろん沢山の企業会員様の協力を得て町会を運営しております。

ご挨拶 見出し

皆様初めまして。東一・二丁目町会長の鈴木誠でございます。

当町会は個人会員をはじめ多くの企業会員様のご協力により運営をしております。平成29年に創立100周年を迎えるにあたり、協力企業様また個人会員様のご理解ご協力を得て新しいお神輿が完成いたしました。このお神輿は地域のつながりの結晶であり、町会の結束の象徴として町会の皆様にとっても身近なものであり大切にしていただきたいと願っております。

そんなつながりを身近に感じてもらえるようにと、このホームページもリニューアルオープンする事となりました。地域の皆様とともにこのホームページも発展させて行きたいと考えております。

そして町会の最大限の使命は防犯・防災にあると思います。今後も港区等の行政及び近隣町会と協力して安心・安全に暮らせる町づくりをしていきたいと思っております。東京オリンピック・パラリンピックの開催にあたり、今後町の様子も変わると思われますが当町会が発達しながら110周年、120周年をと積み重ねられるように役員一同、町会員と共に協力していく所存でございます。

沿革 見出し

明治27年~28年
戦役軍人送迎の赤坂区報国会結成を受け、田町6町会・田町7町会の有志により「睦会」を組織し援助。
大正元年8月
田町6・7町会協議地区の「衛生組合」及び「睦会」を合併し「大正会」と改称し、町会と自治会の協和を目的とする。
大正9年4月10日
「田町6・7会」へ改称する。
大正10年4月
改組し会則を改め、「田町6・7町会」とし会長に吉田勘衛門氏が就任。
昭和2年7月4日
分離独立し「田町7丁目町会」と称するも、一部が6丁目に残存し混乱が生じる。
昭和14年3月 守屋区長の斡旋、市電六本木により境界を確定。
昭和31年12月
「田町六七丁目町会」となる。会長 豊田 啓
昭和38年12月
「赤坂田町六・七丁目町会」となる。 会長 有賀 義平
昭和45年4月
「赤坂東一・二丁目町会」となる。 会長 金原 直光
昭和52年10月20日
皆川 祝亀 会長就任
昭和53年10月1日
松浦 治郎 会長就任
平成5年5月3日
鈴木 信一 会長就任
平成8年4月1日
伊藤 進 会長就任
平成23年12月1日
松浦 栄一 会長就任
平成
鈴木 誠 会長就任
平成29年9月9日
町会設立百周年・町会神輿新調 祝賀会開催(赤坂インターシティAIR)
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